1913年 名古屋市南区外山町生まれ。父は絵師であり七宝焼きのデザインもしていた。 1930年 半年間高野山の宿坊にて小僧として過ごす。その後京都市四条大宮の専徳寺に 下宿し浄土宗・知恩院に通い仏教を学び専徳寺で得度した。 1933年 京都市内の独立美術研究所に一年通い須田国太郎からデッサンの指導を受ける。 1936年 佛教専門学校(現佛教大学)を卒業する。 1938年 滋賀県栗太郡(現大津市)大石村、帰命寺(浄土宗)住職となる。 1946年 春山行夫に誘われ「雄鶏通信」の木版カットを担当する。 「雄鶏通信」の縁から淵上毛銭を知り、九州の文芸同人誌にも版画によるカットを載始める。 また、分教場の先生として地元生徒の教育にもあたるようになる。 1967年 自家版「木版詩集」限定30部刊行 1969年 自家版「もくはん詩1」限定30部、以後計五冊刊行。この頃より蔵書票制作。 2002年 逝去