略歴・作品他 |
- 1895年 横浜市に生まれる。
- 1907年 青山学院中等科入学。同級生に日本に木口木版画を伝えた合田清の息子・弘一がいた。
- 1912年 青山学院高等科に進学。この頃から『中学世界』、『文章世界』、『秀才文壇』などの雑誌に口絵やカット、詩を投稿し始める。
- 1917年 父の勧めによりカナダのヴィクトリアへ行く。
- 1918年 アメリカのシアトルに移り、看板描きの仕事に就くが、すぐにアラスカへ行き、鮭缶詰製造人夫となる。弟死去の知らせで帰国。
- 1921年 青山学院長の斡旋で宇都宮中学の英語教師となる。野球部副部長となる。
- 1922年 第4回日本創作版画協会展に《黒き猫》初入選。
- 1926年 第5回国画創作協会展に《初夏の風》、《月の出》出品。棟方志功が《初夏の風》を見て感銘を受ける。
- 1927年 木版自摺の詩画集処女作『青髯』刊行。神戸版画の家より『川上澄生創作版画集・第一輯』刊行。
- 1928年 宇都宮中学の生徒たちと版画誌『刀』を創刊する。
- 1929年 『新東京百景』、『日本新八景版画 第一輯 日光之部』を制作する。
- 1942年 宇都宮中学を退職。退職翌日から木活字の制作を始め、第1作『南蛮船記』刊行。以後、終戦までに18冊もの版画絵本・版画本を刊行。
- 1945年 戦火を避け、妻の実家である北海道に疎開。苫小牧中学校の嘱託となる。
- 1949年 宇都宮に帰り、県立宇都宮女子高校の講師となる。第1回栃木県文化功労者章受章。
- 1958年 宇都宮女子高校を退職する。
- 1959年 2月、日本橋白木屋百貨店、7月、大阪三越百貨店で個展開催
- 1967年 勲四等端宝章受章
- 1972年 9月1日77歳で逝去。
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- (版画ネット・版画家図鑑による)
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